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アル中の父のこと

アル中父が他界して6日目。今の気持ちを記録に残そう。

自分の記録のために書いてます。

先週、父が他界しました。

末期の肝硬変で施設に入っていたのですが、コロナで陽性が出て完治した後の突然の死でした。

今は父が好きだったさだまさしを聴きながらこのブログを書いてます。

 

目次

父の最期:1週間前は元気だった

父の死の1週間前、コロナ陽性になった父と電話で話し増田。

心配する私をよそに予想外に元気でした。

コロナの熱も下がったようで嬉しく安心したのを覚えています。

そしてその数日後、施設から連絡があり父の食欲が全くないから来てほしいと言われました。

急いで行ってみると、父はいつものように片手を上げて「よ。」と元気なさそうにベットに横たわっていました。

元々ふくよかな体型の父でしたがすっかり痩せてしまって今度こそダメかもと思いました。

父も「もう、ダメかもな。全然食欲がないんだ」と苦しそうに言ってしました。

 

そして迎えた最期の日

会いに行ってから三日後、父の血圧が弱く呼吸も浅いと施設から連絡がありました。

急いで1歳児を前かごに乗せて、ママチャリで父の施設に向かいました。

すると、もう会話ができない父がベットに横たわっていました。

もうダメか。と思いながらも、「来たよー!わかるー?」と懸命に話しかけました。

しかし、一切の応答がありませんでした。

施設の人からは今晩から明後日に息を引き取る可能性が高いと言われました。

 

2回目に施設に行った時に偶然妹と会う

その日、また施設から連絡がありもう最後の時が近いから来てほしいと言われました。

まだ現実味がありませんでしたがとりあえず妹に連絡して、18時ごろに施設に到着しました。

すると、そこには偶然妹がいました。

コロナ禍だったので防護服を着て妹と父の元に行きました。

明らかに呼吸が浅い父を前に、私と妹は「もうダメなのかな」「いつまでもつんだろうね」と話しながら

私はなんとなく父の呼吸が止まる気がして上下にゆっくり動く喉仏をずっと見つめていました。

すると、父の喉仏が最後の呼吸をして動かなくなりました。

ドラマかよ。

本当かよ。

これって死んだってこと?

最後まで耳は聞こえていて、私たちの声を聞いて安心して逝ったんだ。

妹にも言えずにいると、施設の看護婦さんが私たちの様子を伺いに入ってきました。

「あれ?もしかして」

父の死に気付いた看護婦さんが医師に連絡。

泣く妹。

私もぼんやりとこれで終わりかと涙が流れました。

 

通夜までは大丈夫だったのに

それからティアに連絡して、ティアの人が夜の10時にきました。

死んだ人が多い日だったようで、随分と遅れての到着。

ティアの遺体の搬送の人は坊主で、アダムスファミリーの兄みたいな人でした。

それから父をティアの会館に移動させて、簡単な葬儀の話があり現実味がないまま家に帰りました。

そしてはじまった通夜。

父に手を合わせたときにドッと涙が溢れました。それまでは大丈夫だったのになんだかこの時だけ急に悲しくなりました。

 

葬儀でついに父ともう会えなくなるのを感じた

うちは無宗教だったので、葬儀では父に手紙を読むことにしました。

今までの思いを手紙にまとめていると、あの時こうしていればという後悔に襲われました。

そして今まで育ててくれた感謝の気持ちと、

もう会えないんだという悲しみで世界が歪んで見えました。

 

私が喪主だったのですが、葬儀で一番悲しかったのは火葬場で送り出す時です。

火葬する機械の中に入れられていく父を見て、嗚咽しました。

そんなとこに入れたら死んじゃうよ!

何してるの!?

父の形がなくなるのが本当に恐ろしかったです。

 

他界してから六日目の今

まだ悲しすぎて、父の写真を見ては涙が浮かびます。

父の写真と遺骨は常にリビングに置いてあり、寝るときは寝室に運びます。

父と離れるのが嫌なんです。

父の写真に泣きそうになりながら話しかけてます。

父に送ったテレビジョンで父が見たい番組にマークをしていて、それを見て泣きます。

父の財布を見て泣きます。

父の財布の中に入っていた、律儀な父の文字で書かれた私と妹の電話番号のメモを見て泣きます。

私の携帯の履歴で父の名前が表示されて泣きます。

父が死ぬ前にやっていたナンプレに父の筆跡を見て泣きます。

旦那が「お義父さんにビールをあげないと」といって、父の写真の前にビールを置くのを見て泣きます。

施設の人に父の私物で施設で利用してもいいものがあったら引き取ってもいいかと聞かれ、OKと答えたにもかかわらず父の思い出の品が少なくなった気がして泣けてきます。

普段はなんでも捨てる私が物に執着するなんて。

今も父が好きだったさだまさしをノンストップでかけては、自分を追い込んでいます。

これ以上自分を悲しませてどうするんだ?って思いますが、なんだか悲しみに浸りたい気分なのかもしれません。

 

悲しみにも波がある

もちろんずっと悲しいわけではありません。

今朝、義理の父に電話をして少し泣いてしまいましたが、電話をかけ終わった後は私にも残された父(義理ですが)がいると思うと少し気持ちが楽になりました。

また、先ほど旦那と会話をしていて亡くなったものよりも今自分が持っているものに感謝するのがいいことを話してもらって、

確かに自分には幸せな家庭があって、健康な体もあって、子供たちも元気で、十分に生活していけるお金があって、家があって、支えてくれる旦那もいて。

いなくなった父に目を向けるのでなく、今自分が感謝すべきことに目を向けると気持ちも落ち着いてきました。

 

まだまだ時間はかかりそうだけど、時が解決してくれるのを待つ

まだ心の傷は癒えません。

いつも「よ」と言って片手を上げる父にもう会えないのかと思うと胸が張り裂けそうです。

でも、日常は過ぎていっていて。

ご飯を作らないといけないし、娘の送迎はしないといけないし。

こんなふうに過ぎていく中で心も癒えていくのかもしれません。